2019年12月01日

1997年の東条町文化会館(コスミックホール)での来日公演の情報

スルタノフの来日公演については、当支援会のホームページにてまとめておりまして、その中に 1997年の情報も掲載しております。

1997年、アレクセイ・スルタノフ来日スケジュール

さて、読者様の中で、この1997年公演最初のコンサートである東条町文化会館(コスミックホール)での公演に行かれた方が、その時の資料をご提供して下さいました。ご興味のある皆様とも共有させて頂きたいと思います。

3月16日 東条町文化会館(コスミックホール) 18:30開演
全席指定 一般 3,500円 / 高校生以下 1,500円 (当日 500円増)
ハイドン: ピアノ・ソナタ 変ホ長調 Hob.XVI-49
ショパン: バラード第1番 ト短調 作品23
ショパン: スケルツォ第1番 ロ短調 作品29
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チャイコフスキー:ドゥムカ ハ短調 作品59 「ロシアの農村風景」
プロコフィエフ :ピアノ・ソナタ第7番 変ロ長調 作品83

まず以下は、当日のチラシです。基本的な構成は、1997年の東京公演と同じデザインのようですね。
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そしてこちらは会場で配られたものでしょうが、「音楽の友」1996年3月号に記載されたものから、スルタノフのエピソードが記載されたものになります。85年のショパンコンクール、86年のチャイコフスキーコンクール、89年のクライバーンコンクール、そして95年のショパンコンクールについて、かなりの情報が記載されていて一読の価値があります!
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最後に、当日のプログラムです。
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メモとして記載がありますが、アンコールは以下の4曲だったようです。
- ショパン:幻想即興曲
- ショパン:小犬のワルツ
- バッハ:平均律(第1巻より第1番プレリュード)
- ショパン:革命のエチュード

鳴りやまない拍手にこたえて、4曲のアンコールを弾いたのでしょう。貴重な記録だと思います。
情報ご提供者様に感謝申し上げます。

また、もしこのように、スルタノフ来日時の、チラシ、パンフレット、また写真や録音、サイン、などをお持ちの方がいらっしゃれば、是非ご連絡下さい。
posted by Murakami at 21:26| Comment(0) | 歴史

2019年10月27日

1982年の演奏会ポスターのご紹介

スルタノフの過去のコンサート記録は、1989年以降そこそこあるのですが、幼少期の頃については、多少の録音はあるものの、あまり明確にはわかっていません。
その中で、旧ソ連時代のポスターで大変貴重なものが出てきましたので皆様にご紹介します。

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これは、1982年10月30日のコンサートのポスターです。スルタノフ少年は13歳だったことでしょう。
場所は現在のサンクトペテルブルクにあたる、レニングラードのレニングラード・フィルハーモニーの大ホールになります。指揮は、Zahid Khaknazarov、オーケストラはウズベキスタン交響楽団と共に、ショパンのピアノ協奏曲第2番 Op.21が演奏されました。

この日の録音は残されてはいないものの、若い頃に録音したコンチェルトの2番は多少記録があり、このポスターも当時のレパートリの1つにショパンの2番があったことを示すものになります。
なおセルゲイ氏の証言によると、ショパンの1番も子供の頃に勉強したかもしれないが、とのことでしたが、残念ながらこのポスターでの演奏は2番でした。

スルタノフのショパンのコンチェルトの2番と言えば、何といってもショパンコンクールのファイナルにおける名演です。是非あわせて演奏を聞きながら、ポスターを眺めてみて下さい。
なお、ロシア語でスルタノフは「СУЛТАНОВ」と綴ります。

posted by Murakami at 18:57| Comment(6) | 歴史

2019年10月19日

The Cliburn: 50 years of Gold

この動画自体は、もう随分前に公開されたものですが、その貴重な価値に今頃気が付いたので、改めて皆さんと共有したいと思います。
ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールの50周年を記念して、以下の動画が公開されました。この中では歴代の優勝者たちの懐かしい動画やインタビュー、また、コンクールの各シーンなどがつまっています。


この中でスルタノフのシーンは、22:15-23:10になります。優勝者の現在にインタビューしたものなので、スルタノフの代わりにスタニスラフ・ユデニッチが語っています。ユデニッチ先生は日本にもよく来日するので、名前が知られており、ウズベキスタンのタシケント出身ですが、この動画で語られている通り、同じ学校(ウスペンスキー音楽学校)の出身であり、そしてスルタノフが故郷の先輩として、どれだけ尊敬されているかについてを語っています。

この動画で最も貴重なシーンは、23:00 から数秒入った、モーツァルト K.330 2楽章の最初をリハーサルするシーンです。指を伸ばして寝かし、最初の C の音を 3-2-3-2 の指使いで弾くシーンが映像で鮮明に残っているのが、大変貴重です。
クライバーンコンクールの映像は、"Here to make music" というドキュメンタリーの中で多く使われており、その中のシーンだけがこれまで公開されていたものですが、このシーンはおそらく未公開ではないかと思います。クライバーン財団には、まだ未公開の映像がある可能性もあり、是非公開して欲しいものです。(特にドヴォルザークのピアノ5重奏)


クライバーンコンクールはフォートワースで開催されるので、スルタノフとの関係も深く、この動画は上記1分のシーンだけでなく、全体を見る価値があると思いますので、是非時間を取って見てみるとよいと思います。
例えば、私はユデニッチ先生が、1997年のコンクールを左手のやけどでセミファイナル棄権したという話をこの動画で初めて知りました。日本でも2001年の優勝のことばかり取り上げられるかと思いますが、こういうのが知れるのはドキュメンタリーの面白いところです。
posted by Murakami at 17:28| Comment(0) | 歴史

2019年07月13日

スルタノフとポポヴィチ先生の写真

最近タシケント在住のスルタノフの従姉と連絡する機会がありました。
その中で、学校でポポヴィチ先生から指導を受けるスルタノフの写真を頂いたので、皆さんと共有したいと思います。

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先日ウスペンスキー音楽学校を訪れた日高さんからも教えて頂きましたが、ポポヴィチ先生は学校でも伝説的な教師になっていて、多くの写真などが貼ってあるそうですし、先生に関するいろいろなエピソードもあるようです。厳しい指導であったという証言もありますが、生徒からも愛され、そして何よりウズベキスタンを代表するたくさんの音楽家を輩出しました。

スルタノフの幼少期の写真は、ロシア語のオフィシャルサイトに多数掲載されていますが、この写真とあわせてお楽しみください。
http://www.alexeisultanov.ru/gallery1
posted by Murakami at 20:49| Comment(0) | 歴史

2019年02月03日

スルタノフと謎の組織 O.T.S について

スルタノフ情報を調べてみると、スルタノフと親交があった方々からの過去の写真などに関する投稿を目にすることがあります。こちらは、Alexei Sultanov という Facebook のコミュニティに対して、写真がタグ付けされたものです。
(コミュニティに入らないとアクセス出来ないかもしれませんし、ひょっとすると写真にタグ付けされている誰かと知り合いでないと見れないかもしれませんが、写真自体にはそれほど価値があるものでもないと思います)

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ここには、O.T.S というお揃いのTシャツを着た4人(お揃いといっても、それぞれ自分のイニシャルと役割が入っていて微妙に異なる)が写っています。
A.S. THE PRESIDENT OF O.T.S というTシャツを着たスルタノフが写っており、一緒には、Alexander Korsantia氏、George Vatchnadze氏、Maxim Mogilevsky氏が写っています。
これは歴史的にも面白い写真でありますし、またスルタノフが仲良くしていた同世代の一流ピアニストがわかる、という意味でも興味深いです。

このO.T.Sですが、Outstanding ... という意味なのかと想像したりもしますが、メンバーのモギレフスキー氏によると、「コンクールでよい結果を残せなかったメンバーの集いで、アレクセイはチャイコフスキーで残念だったからプレジデントになった。O.T.Sという略語が何かは、とても言うことは出来ない」とのことです。
とはいっても、有名コンクールの勝者を含む、なかなかの豪華メンツです。彼らの音楽を聴くことで学べることも思いますので、O.T.S の残りのメンバーもご紹介したいと思います。

Alexander Korsantia氏は、シドニーとルービンシュタインを優勝した素晴らしいピアニストです。スルタノフの葬儀サービスにも出席していますし、スルタノフ自身がお気に入りのピアニストであったと話していたことがあり、最も仲の良いピアニストの1人だったと想像されます。
録音では、ストラヴィンスキー=アゴスティ=コルサンティアの火の鳥があります。ラ・ヴァルスのピアノ編曲も楽譜出版されているそうです。教育者としても活躍されていて、YouTubeには興味深いレッスンビデオなどもあります。


George Vatchnadze氏もジョージア出身のピアニストで、現在はシカゴで教えられているようです。今年の年初は日本で過ごされたようです。
プロコフィエフの録音があるようです。YouTubeでもいくつか音源があるようです。


Maxim Mogilevsky氏は、こちらのロシアピアニズムの本でも紹介されていますが、よく来日された、あちこちの音大でマスタークラスをされています。ナウモフ門下であり、またアシスタントもされていました。
モギレフスキー氏は、お父様はエリザベート優勝、そしてご先祖には、スクリャービンの知人でもあり東京芸術大学で初期のヴァイオリン教育に多大な貢献をされたアレクサンドル・モギレフスキー先生がいらっしゃる音楽一家であり、また、親日家でもあります。小平霊園にも来日時にはよく行かれているようです。日本国際音楽コンクールで入賞されており、そのCDに収録されたペトルーシュカは名演です。

若き日のスルタノフが切磋琢磨したピアニストたちの活躍からも見えるものがあると思いますので、今日はO.T.S仲間の3人のピアニストをご紹介してみました。
posted by Murakami at 12:24| Comment(0) | 歴史