2019年10月27日

1982年の演奏会ポスターのご紹介

スルタノフの過去のコンサート記録は、1989年以降そこそこあるのですが、幼少期の頃については、多少の録音はあるものの、あまり明確にはわかっていません。
その中で、旧ソ連時代のポスターで大変貴重なものが出てきましたので皆様にご紹介します。

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これは、1982年10月30日のコンサートのポスターです。スルタノフ少年は13歳だったことでしょう。
場所は現在のサンクトペテルブルクにあたる、レニングラードのレニングラード・フィルハーモニーの大ホールになります。指揮は、Zahid Khaknazarov、オーケストラはウズベキスタン交響楽団と共に、ショパンのピアノ協奏曲第2番 Op.21が演奏されました。

この日の録音は残されてはいないものの、若い頃に録音したコンチェルトの2番は多少記録があり、このポスターも当時のレパートリの1つにショパンの2番があったことを示すものになります。
なおセルゲイ氏の証言によると、ショパンの1番も子供の頃に勉強したかもしれないが、とのことでしたが、残念ながらこのポスターでの演奏は2番でした。

スルタノフのショパンのコンチェルトの2番と言えば、何といってもショパンコンクールのファイナルにおける名演です。是非あわせて演奏を聞きながら、ポスターを眺めてみて下さい。
なお、ロシア語でスルタノフは「СУЛТАНОВ」と綴ります。

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2019年10月19日

The Cliburn: 50 years of Gold

この動画自体は、もう随分前に公開されたものですが、その貴重な価値に今頃気が付いたので、改めて皆さんと共有したいと思います。
ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールの50周年を記念して、以下の動画が公開されました。この中では歴代の優勝者たちの懐かしい動画やインタビュー、また、コンクールの各シーンなどがつまっています。


この中でスルタノフのシーンは、22:15-23:10になります。優勝者の現在にインタビューしたものなので、スルタノフの代わりにスタニスラフ・ユデニッチが語っています。ユデニッチ先生は日本にもよく来日するので、名前が知られており、ウズベキスタンのタシケント出身ですが、この動画で語られている通り、同じ学校(ウスペンスキー音楽学校)の出身であり、そしてスルタノフが故郷の先輩として、どれだけ尊敬されているかについてを語っています。

この動画で最も貴重なシーンは、23:00 から数秒入った、モーツァルト K.330 2楽章の最初をリハーサルするシーンです。指を伸ばして寝かし、最初の C の音を 3-2-3-2 の指使いで弾くシーンが映像で鮮明に残っているのが、大変貴重です。
クライバーンコンクールの映像は、"Here to make music" というドキュメンタリーの中で多く使われており、その中のシーンだけがこれまで公開されていたものですが、このシーンはおそらく未公開ではないかと思います。クライバーン財団には、まだ未公開の映像がある可能性もあり、是非公開して欲しいものです。(特にドヴォルザークのピアノ5重奏)


クライバーンコンクールはフォートワースで開催されるので、スルタノフとの関係も深く、この動画は上記1分のシーンだけでなく、全体を見る価値があると思いますので、是非時間を取って見てみるとよいと思います。
例えば、私はユデニッチ先生が、1997年のコンクールを左手のやけどでセミファイナル棄権したという話をこの動画で初めて知りました。日本でも2001年の優勝のことばかり取り上げられるかと思いますが、こういうのが知れるのはドキュメンタリーの面白いところです。
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2019年07月13日

スルタノフとポポヴィチ先生の写真

最近タシケント在住のスルタノフの従姉と連絡する機会がありました。
その中で、学校でポポヴィチ先生から指導を受けるスルタノフの写真を頂いたので、皆さんと共有したいと思います。

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先日ウスペンスキー音楽学校を訪れた日高さんからも教えて頂きましたが、ポポヴィチ先生は学校でも伝説的な教師になっていて、多くの写真などが貼ってあるそうですし、先生に関するいろいろなエピソードもあるようです。厳しい指導であったという証言もありますが、生徒からも愛され、そして何よりウズベキスタンを代表するたくさんの音楽家を輩出しました。

スルタノフの幼少期の写真は、ロシア語のオフィシャルサイトに多数掲載されていますが、この写真とあわせてお楽しみください。
http://www.alexeisultanov.ru/gallery1
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2019年02月03日

スルタノフと謎の組織 O.T.S について

スルタノフ情報を調べてみると、スルタノフと親交があった方々からの過去の写真などに関する投稿を目にすることがあります。こちらは、Alexei Sultanov という Facebook のコミュニティに対して、写真がタグ付けされたものです。
(コミュニティに入らないとアクセス出来ないかもしれませんし、ひょっとすると写真にタグ付けされている誰かと知り合いでないと見れないかもしれませんが、写真自体にはそれほど価値があるものでもないと思います)

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ここには、O.T.S というお揃いのTシャツを着た4人(お揃いといっても、それぞれ自分のイニシャルと役割が入っていて微妙に異なる)が写っています。
A.S. THE PRESIDENT OF O.T.S というTシャツを着たスルタノフが写っており、一緒には、Alexander Korsantia氏、George Vatchnadze氏、Maxim Mogilevsky氏が写っています。
これは歴史的にも面白い写真でありますし、またスルタノフが仲良くしていた同世代の一流ピアニストがわかる、という意味でも興味深いです。

このO.T.Sですが、Outstanding ... という意味なのかと想像したりもしますが、メンバーのモギレフスキー氏によると、「コンクールでよい結果を残せなかったメンバーの集いで、アレクセイはチャイコフスキーで残念だったからプレジデントになった。O.T.Sという略語が何かは、とても言うことは出来ない」とのことです。
とはいっても、有名コンクールの勝者を含む、なかなかの豪華メンツです。彼らの音楽を聴くことで学べることも思いますので、O.T.S の残りのメンバーもご紹介したいと思います。

Alexander Korsantia氏は、シドニーとルービンシュタインを優勝した素晴らしいピアニストです。スルタノフの葬儀サービスにも出席していますし、スルタノフ自身がお気に入りのピアニストであったと話していたことがあり、最も仲の良いピアニストの1人だったと想像されます。
録音では、ストラヴィンスキー=アゴスティ=コルサンティアの火の鳥があります。ラ・ヴァルスのピアノ編曲も楽譜出版されているそうです。教育者としても活躍されていて、YouTubeには興味深いレッスンビデオなどもあります。


George Vatchnadze氏もジョージア出身のピアニストで、現在はシカゴで教えられているようです。今年の年初は日本で過ごされたようです。
プロコフィエフの録音があるようです。YouTubeでもいくつか音源があるようです。


Maxim Mogilevsky氏は、こちらのロシアピアニズムの本でも紹介されていますが、よく来日された、あちこちの音大でマスタークラスをされています。ナウモフ門下であり、またアシスタントもされていました。
モギレフスキー氏は、お父様はエリザベート優勝、そしてご先祖には、スクリャービンの知人でもあり東京芸術大学で初期のヴァイオリン教育に多大な貢献をされたアレクサンドル・モギレフスキー先生がいらっしゃる音楽一家であり、また、親日家でもあります。小平霊園にも来日時にはよく行かれているようです。日本国際音楽コンクールで入賞されており、そのCDに収録されたペトルーシュカは名演です。

若き日のスルタノフが切磋琢磨したピアニストたちの活躍からも見えるものがあると思いますので、今日はO.T.S仲間の3人のピアニストをご紹介してみました。
posted by Murakami at 12:24| Comment(0) | 歴史

2018年10月07日

モスクワ音楽院の第29番教室

モスクワ音楽院には、ネイガウスの教室として有名な第29番教室(Room 29)があります。
スルタノフの師匠である、レフ・ナウモフ先生もこの教室を使っていましたので、スルタノフも学生時代、まさにこの教室で、学んでいました。

この29番教室は、モスクワ音楽院の中でも大変意味のある教室であり、既にレポートを書いて下さっている日本人の方もいらっしゃいます。だいぶ古いレポートもありますので、その歴史の重みを感じます。
- モスクワ音楽院第29番教室
- モスクワ音楽院の

さて、最近の29番教室の状況を、モスクワに留学中の、とあるスルタノフファンの方が報告して下さいました。
是非この写真から、スルタノフが学生時代に勉強していた、というオーラを感じ取って下さい。

伝統の29番教室のドア:
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教室の中:
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このように2台のピアノが並んでおり、壁にはギレリス、ソフロニツキー、ザーク、ゴルノスターエヴァ、ナセトキンと並んでいます。この部屋の写真の反対側には、ネイガウスとナウモフも飾られています。まさに伝統の教室ですね。

さて、以下は、1986年のチャイコフスキーコンクールのドキュメンタリービデオで、18:55からは教室でナウモフ先生と、その奥様のイリーナ先生にレッスンを受けているスルタノフのシーンがあるのですが、果たしてこの教室は29番教室でしょうか。今から30年以上も前の部屋ですので、ちょっと判断が出来ませんが、そんなようにも見えます。


いずれにせよ、ドキュメンタリーは 16歳のスルタノフのシーンが含まれる、大変貴重なものです。チャイコフスキーコンクール自体も興味深いです。是非お楽しみ下さい。
posted by Murakami at 00:07| Comment(0) | 歴史