2019年07月13日

スルタノフとポポヴィチ先生の写真

最近タシケント在住のスルタノフの従姉と連絡する機会がありました。
その中で、学校でポポヴィチ先生から指導を受けるスルタノフの写真を頂いたので、皆さんと共有したいと思います。

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先日ウスペンスキー音楽学校を訪れた日高さんからも教えて頂きましたが、ポポヴィチ先生は学校でも伝説的な教師になっていて、多くの写真などが貼ってあるそうですし、先生に関するいろいろなエピソードもあるようです。厳しい指導であったという証言もありますが、生徒からも愛され、そして何よりウズベキスタンを代表するたくさんの音楽家を輩出しました。

スルタノフの幼少期の写真は、ロシア語のオフィシャルサイトに多数掲載されていますが、この写真とあわせてお楽しみください。
http://www.alexeisultanov.ru/gallery1
posted by Murakami at 20:49| Comment(0) | 歴史

2019年02月03日

スルタノフと謎の組織 O.T.S について

スルタノフ情報を調べてみると、スルタノフと親交があった方々からの過去の写真などに関する投稿を目にすることがあります。こちらは、Alexei Sultanov という Facebook のコミュニティに対して、写真がタグ付けされたものです。
(コミュニティに入らないとアクセス出来ないかもしれませんし、ひょっとすると写真にタグ付けされている誰かと知り合いでないと見れないかもしれませんが、写真自体にはそれほど価値があるものでもないと思います)

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ここには、O.T.S というお揃いのTシャツを着た4人(お揃いといっても、それぞれ自分のイニシャルと役割が入っていて微妙に異なる)が写っています。
A.S. THE PRESIDENT OF O.T.S というTシャツを着たスルタノフが写っており、一緒には、Alexander Korsantia氏、George Vatchnadze氏、Maxim Mogilevsky氏が写っています。
これは歴史的にも面白い写真でありますし、またスルタノフが仲良くしていた同世代の一流ピアニストがわかる、という意味でも興味深いです。

このO.T.Sですが、Outstanding ... という意味なのかと想像したりもしますが、メンバーのモギレフスキー氏によると、「コンクールでよい結果を残せなかったメンバーの集いで、アレクセイはチャイコフスキーで残念だったからプレジデントになった。O.T.Sという略語が何かは、とても言うことは出来ない」とのことです。
とはいっても、有名コンクールの勝者を含む、なかなかの豪華メンツです。彼らの音楽を聴くことで学べることも思いますので、O.T.S の残りのメンバーもご紹介したいと思います。

Alexander Korsantia氏は、シドニーとルービンシュタインを優勝した素晴らしいピアニストです。スルタノフの葬儀サービスにも出席していますし、スルタノフ自身がお気に入りのピアニストであったと話していたことがあり、最も仲の良いピアニストの1人だったと想像されます。
録音では、ストラヴィンスキー=アゴスティ=コルサンティアの火の鳥があります。ラ・ヴァルスのピアノ編曲も楽譜出版されているそうです。教育者としても活躍されていて、YouTubeには興味深いレッスンビデオなどもあります。


George Vatchnadze氏もジョージア出身のピアニストで、現在はシカゴで教えられているようです。今年の年初は日本で過ごされたようです。
プロコフィエフの録音があるようです。YouTubeでもいくつか音源があるようです。


Maxim Mogilevsky氏は、こちらのロシアピアニズムの本でも紹介されていますが、よく来日された、あちこちの音大でマスタークラスをされています。ナウモフ門下であり、またアシスタントもされていました。
モギレフスキー氏は、お父様はエリザベート優勝、そしてご先祖には、スクリャービンの知人でもあり東京芸術大学で初期のヴァイオリン教育に多大な貢献をされたアレクサンドル・モギレフスキー先生がいらっしゃる音楽一家であり、また、親日家でもあります。小平霊園にも来日時にはよく行かれているようです。日本国際音楽コンクールで入賞されており、そのCDに収録されたペトルーシュカは名演です。

若き日のスルタノフが切磋琢磨したピアニストたちの活躍からも見えるものがあると思いますので、今日はO.T.S仲間の3人のピアニストをご紹介してみました。
posted by Murakami at 12:24| Comment(0) | 歴史

2018年10月07日

モスクワ音楽院の第29番教室

モスクワ音楽院には、ネイガウスの教室として有名な第29番教室(Room 29)があります。
スルタノフの師匠である、レフ・ナウモフ先生もこの教室を使っていましたので、スルタノフも学生時代、まさにこの教室で、学んでいました。

この29番教室は、モスクワ音楽院の中でも大変意味のある教室であり、既にレポートを書いて下さっている日本人の方もいらっしゃいます。だいぶ古いレポートもありますので、その歴史の重みを感じます。
- モスクワ音楽院第29番教室
- モスクワ音楽院の

さて、最近の29番教室の状況を、モスクワに留学中の、とあるスルタノフファンの方が報告して下さいました。
是非この写真から、スルタノフが学生時代に勉強していた、というオーラを感じ取って下さい。

伝統の29番教室のドア:
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教室の中:
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このように2台のピアノが並んでおり、壁にはギレリス、ソフロニツキー、ザーク、ゴルノスターエヴァ、ナセトキンと並んでいます。この部屋の写真の反対側には、ネイガウスとナウモフも飾られています。まさに伝統の教室ですね。

さて、以下は、1986年のチャイコフスキーコンクールのドキュメンタリービデオで、18:55からは教室でナウモフ先生と、その奥様のイリーナ先生にレッスンを受けているスルタノフのシーンがあるのですが、果たしてこの教室は29番教室でしょうか。今から30年以上も前の部屋ですので、ちょっと判断が出来ませんが、そんなようにも見えます。


いずれにせよ、ドキュメンタリーは 16歳のスルタノフのシーンが含まれる、大変貴重なものです。チャイコフスキーコンクール自体も興味深いです。是非お楽しみ下さい。
posted by Murakami at 00:07| Comment(0) | 歴史

2018年07月28日

モスクワに飾られるスルタノフの写真

スルタノフが学生時代を過ごしたモスクワでは、今も偉大なる芸術家の1人として記録されています。最近、モスクワを訪問した音楽家の方々から、いくつか報告があったのを拝見したので、今日はそれを紹介させて頂きます。

1つ目の写真は、スルタノフの母校でもある、モスクワ音楽院付属中央音楽学校(ЦМШ)です。スルタノフは1986年にここに入学しており、ここからチャイコフスキーコンクールに出場したり、また、後の妻となる Dace氏と出会ったりしています(出会いの話はこちら)。

最近こちらの学校を訪れた日本人ピアニストがこのような写真を送って下さいました。
この写真は、ЦМШの寮になっている建物の、2階のホール前に飾られているそうです。
偉大な卒業生の1人としてこうして飾られているのは嬉しいことですね。

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次は、これまでもスルタノフに関する雑誌記事などを書いて下さったことでも有名な、下田幸二先生のツイートです。



スルタノフは2000年にグネーシン音楽大学のホールでコンサートをしており、その時のリストのソナタや、ホロヴィッツのカルメン変奏曲は、貴重な記録として YouTube で見ることが出来ます。この写真も、その時にとったものかもしれません。

こちらが、その時の演奏の動画の1つです。お楽しみ下さい。



もし、モスクワに留学されている音大生や、現地情報に詳しい方で、街中でスルタノフを見かけることなどがあったら、教えて頂けるとありがたいです。
posted by Murakami at 14:14| Comment(0) | 歴史

2018年06月23日

スルタノフとホロヴィッツ(番外編)

スルタノフとホロヴィッツに関して、いろいろなエピソードを紹介してきました。最後に1つ興味深いと思ったことを、共有します。

スルタノフ関連の情報源として、言語ごとにオフィシャルサイト相当のものがいくつかありますが、スルタノフの弟、セルゲイ氏が提供しているサイトではロシア語で大量の興味深い資料が提供されています。
Сайт памяти Алексея Султанова

さて、このサイトでスルタノフとホロヴィッツについての出会いなども紹介されているのですが、大変興味深い記述が1つあります。Литературная газета社というロシアの新聞社によるインタビュー記事(1998年7月15日)からの引用です。
И Володя очень долго смеялся и извинялся. Ведь я ему сказал: "Из-за тебя мне пришлось жениться".

この内容は、大変有名な、スルタノフとDace夫人との出会いをホロヴィッツに報告しているシーンで、「ヴォロージャは長いこと笑って謝りました。私は言ったのです。『あなたのせいで結婚することになってしまいまいましたよ』」という内容が記載されています。

この文では、気になる点が2つあります。
1つめは、「あなた」という単語に「тебя (Ты)」を使っているという点です。ロシア語では、2人称の言い方が2種類あるのですが、この表現は「君」に近く、大変親しい関係か子供などに使う、と教科書では習います。
この点について、弟のセルゲイ氏に聞いてみたところ:
「アレクセイとホロヴィッツがもしロシア語で会話して、それが文字通り記載されているとするなら・・・。アレクセイのホロヴィッツへの尊敬、また初対面であったことから"Ты"をいきなり使うことは有り得ない。おそらく、ホロヴィッツがお互いの距離感を縮めるために、"Ты"で話そう、と提案したのではないか」
と言っています。当時の記録から、彼ら2人がロシア語で話したことは間違いなく、ロシアの新聞社へのインタビューであることを考えると、このロシア語文の再現性は高いと思われます。セルゲイ氏の推察の通り、ホロヴィッツの提案により、二人は60歳以上も年が離れていながらも、友達のように会話をしたのかもしれない、と解釈するのがよさそうです。

2つ目に、新聞社のインタビューの中ではありますが、スルタノフはホロヴィッツのことを「ヴォローヂャ」と呼んでいる、という点です。これも、私たちが「アリョーシャ」と呼ぶ以上に、意味があることと思いますが、やはり1度会って楽しい時間をすごした、という背景があってのことなのかなと感じます。

これらをより深く知るには、ロシアでの文化や、ホロヴィッツが周囲とどういう言葉遣いで接してきたか、というのを知る必要があるでしょうが、興味深いお話ですのでご紹介させていただきました。
posted by Murakami at 12:30| Comment(0) | 歴史