2018年05月26日

スルタノフとホロヴィッツ(ホロヴィッツのピアノ編)

スルタノフとホロヴィッツに関する紹介を続けていますが、今回は、スルタノフがホロヴィッツのピアノを弾いたという件についてをご紹介します。

スルタノフとホロヴィッツは一度出会い、それが最後であったというお話を以前書きました
しかし実は、もう1回運命的な繋がりがあったといいます。

1990年5月3日、スルタノフはニューヨークのカーネギーホールでコンサートを行いました。
このコンサートの日、スルタノフは15台のピアノからコンサート用のピアノを選ぶことが出来ました。
その時に選んだピアノは、ホロヴィッツがモスクワ公演に使ったピアノだったそうです。ホロヴィッツがモスクワ公演で使ったピアノというのは、まさにスルタノフが潜り込んで聞いたコンサートで使ったピアノ、ということになります。これは、"Steinway CD 503"として知られているものですが、スルタノフが選択した時はピアノの背景については知らされておらず、偶然選択したとのことでした。

ホロヴィッツはピアノを2つ所有しており、1つは自宅に、もう1つはカーネギーホールから2ブロック先のピアノショップに置いてありました。スルタノフはコンサートの前に、そのピアノショップに連れていかれたそうです。そこには、巨匠たちが使ったという15台のグランドピアノがありました。スルタノフはそこで試弾をした結果、最弱なピアニシモから最強のフォルテシモまでを作ることが出来る、大変可能性の高いピアノを見つけて、それを選んだということです。実は後になって聞いたところによると、運営側はそのピアノだけは選ばないで欲しいと思っていたそうです。なぜなら、そのピアノを使うためにはホロヴィッツの奥様である、ワンダ夫人の許可が必要であったからです。しかし、スルタノフはそのピアノを選びました。ワンダ夫人も特に気にされる様子はなかったとのことです。

ホロヴィッツを深く敬愛するスルタノフにとって、大変重要な瞬間であったと思います。カーネギーホールで行われたこのリサイタルは、実は録音はこっそり残っているようですので、このピアノ情報も理解した上で聴くとイメージも膨らむでしょう。しかし、ホロヴィッツのピアノを使った、カーネギーホールでのスルタノフのコンサートとはなんと贅沢でしょうか。是非ともライブで聞いてみたかったです。
このカーネギーホールでのコンサートを客席で聞いたという日本人がいると聞いたことがあります。機会があれば是非感想などを聞いてみたいところですね。いらっしゃいませんか!?

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※この写真はカーネギーホールコンサートの日かどうかはっきりしないのですが、この衣装で当日弾いたことだけは間違いないと言われています。
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2018年05月19日

スルタノフとホロヴィッツ(ご対面編)

スルタノフとホロヴィッツシリーズの第2回目、今回はスルタノフとホロヴィッツが対面した時のお話をご紹介します。

スルタノフの本格デビューは 1989年のクライバーンコンクールの優勝後、すなわち1989年の6月以降であり、またホロヴィッツは1989年11月5日に亡くなっていますので、この2人がピアニストとして出会うのは時間軸として奇跡的なことなのですが、2人はホロヴィッツのニューヨークのアパートで1回会っています。

1989年7月27日、スルタノフは David Lettermanの"Late Night" に出演しました(CBSとアーカイブには記録されていますが、NBCのニューヨークスタジオではないかと思います)。これは Late-night talk show と呼ばれるアメリカでは大人気のトークショー番組です。この日スルタノフはクライバーンの優勝者としてテレビ出演し、プロコフィエフのピアノソナタ7番の3楽章の後半を披露しました。ただ、この手の番組にはよくあることですが、演奏家への敬意は全く感じられないというのが、Letterman氏と番組に対するファンからの評価となっています。

さて、実はホロヴィッツはこの時既にスルタノフのことを知っていたようで、興味を示していたようです。まさにこの日の収録後、クライバーン財団とホロヴィッツのプロデューサーでもあったThomas Frost 氏の計らいで、ホロヴィッツが住むマンハッタン東 94丁目のアパートで会っています。この会合は21時から3時間ほどだった、と言われていますが、もともと番組が深夜番組ということで事実として少しはっきりしないところはあります(深夜番組ですが、レコーディングは夜に行われていたのかと推測します)

スルタノフの回想によると、当時ホロヴィッツは85歳と高齢でしたが、元気があって賢く、少しいたずら好きなかんじであったということです。ホロヴィッツはスルタノフに何か弾いてみて、と頼み、スルタノフはまずモーツアルトのピアノソナタを弾きました(おそらく K.330)。すると、ホロヴィッツも同じ曲を「その曲なら知っているよ」と弾いたそうです。また、スルタノフは、ホロヴィッツ版でメフィスト・ワルツも弾いています。2人は、シューベルトの幻想曲(D.940)で4手連弾もして楽しみました。
ホロヴィッツは祖国を離れて60年になっていましたが、ロシア語で話すことを大変喜んだといいます。

別れ際に、ホロヴィッツは、自身の誕生日パーティにスルタノフを招いてくれたようです。ただ、残念ながら、スルタノフはロンドンでファーストアルバムのレコーディング(チャイコフスキーとラフマニノフのピアノ協奏曲)があったため、出席出来ませんでした。そして、ちょうどレコーディングをしていた頃、ホロヴィッツが亡くなったことを知らされたようです。(注:レコーディングの日程、ホロヴィッツの誕生日、亡くなった日あたりは微妙にずれているのですが、本人証言によると上記の通りです)

スルタノフにとっては、夢のような1日であったことでしょうし、もし2回目や3回目があったら、どれだけ素晴らしかったであろうか、と思わせるエピソードです。

スルタノフのホロヴィッツに対する思いのこもった、ライブ・イン・リガのCDのブックレットに、このホロヴィッツ対面のエピソードについても記載してあります。残念ながら生産中止になっていますが、お手元にこのCDがあれば、是非ブックレットを読み返して頂けると嬉しいです。
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posted by Murakami at 12:19| Comment(0) | 歴史