2018年10月07日

モスクワ音楽院の第29番教室

モスクワ音楽院には、ネイガウスの教室として有名な第29番教室(Room 29)があります。
スルタノフの師匠である、レフ・ナウモフ先生もこの教室を使っていましたので、スルタノフも学生時代、まさにこの教室で、学んでいました。

この29番教室は、モスクワ音楽院の中でも大変意味のある教室であり、既にレポートを書いて下さっている日本人の方もいらっしゃいます。だいぶ古いレポートもありますので、その歴史の重みを感じます。
- モスクワ音楽院第29番教室
- モスクワ音楽院の

さて、最近の29番教室の状況を、モスクワに留学中の、とあるスルタノフファンの方が報告して下さいました。
是非この写真から、スルタノフが学生時代に勉強していた、というオーラを感じ取って下さい。

伝統の29番教室のドア:
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教室の中:
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このように2台のピアノが並んでおり、壁にはギレリス、ソフロニツキー、ザーク、ゴルノスターエヴァ、ナセトキンと並んでいます。この部屋の写真の反対側には、ネイガウスとナウモフも飾られています。まさに伝統の教室ですね。

さて、以下は、1986年のチャイコフスキーコンクールのドキュメンタリービデオで、18:55からは教室でナウモフ先生と、その奥様のイリーナ先生にレッスンを受けているスルタノフのシーンがあるのですが、果たしてこの教室は29番教室でしょうか。今から30年以上も前の部屋ですので、ちょっと判断が出来ませんが、そんなようにも見えます。


いずれにせよ、ドキュメンタリーは 16歳のスルタノフのシーンが含まれる、大変貴重なものです。チャイコフスキーコンクール自体も興味深いです。是非お楽しみ下さい。
posted by Murakami at 00:07| Comment(0) | 歴史

2018年07月28日

モスクワに飾られるスルタノフの写真

スルタノフが学生時代を過ごしたモスクワでは、今も偉大なる芸術家の1人として記録されています。最近、モスクワを訪問した音楽家の方々から、いくつか報告があったのを拝見したので、今日はそれを紹介させて頂きます。

1つ目の写真は、スルタノフの母校でもある、モスクワ音楽院付属中央音楽学校(ЦМШ)です。スルタノフは1986年にここに入学しており、ここからチャイコフスキーコンクールに出場したり、また、後の妻となる Dace氏と出会ったりしています(出会いの話はこちら)。

最近こちらの学校を訪れた日本人ピアニストがこのような写真を送って下さいました。
この写真は、ЦМШの寮になっている建物の、2階のホール前に飾られているそうです。
偉大な卒業生の1人としてこうして飾られているのは嬉しいことですね。

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次は、これまでもスルタノフに関する雑誌記事などを書いて下さったことでも有名な、下田幸二先生のツイートです。



スルタノフは2000年にグネーシン音楽大学のホールでコンサートをしており、その時のリストのソナタや、ホロヴィッツのカルメン変奏曲は、貴重な記録として YouTube で見ることが出来ます。この写真も、その時にとったものかもしれません。

こちらが、その時の演奏の動画の1つです。お楽しみ下さい。



もし、モスクワに留学されている音大生や、現地情報に詳しい方で、街中でスルタノフを見かけることなどがあったら、教えて頂けるとありがたいです。
posted by Murakami at 14:14| Comment(0) | 歴史

2018年06月23日

スルタノフとホロヴィッツ(番外編)

スルタノフとホロヴィッツに関して、いろいろなエピソードを紹介してきました。最後に1つ興味深いと思ったことを、共有します。

スルタノフ関連の情報源として、言語ごとにオフィシャルサイト相当のものがいくつかありますが、スルタノフの弟、セルゲイ氏が提供しているサイトではロシア語で大量の興味深い資料が提供されています。
Сайт памяти Алексея Султанова

さて、このサイトでスルタノフとホロヴィッツについての出会いなども紹介されているのですが、大変興味深い記述が1つあります。Литературная газета社というロシアの新聞社によるインタビュー記事(1998年7月15日)からの引用です。
И Володя очень долго смеялся и извинялся. Ведь я ему сказал: "Из-за тебя мне пришлось жениться".

この内容は、大変有名な、スルタノフとDace夫人との出会いをホロヴィッツに報告しているシーンで、「ヴォロージャは長いこと笑って謝りました。私は言ったのです。『あなたのせいで結婚することになってしまいまいましたよ』」という内容が記載されています。

この文では、気になる点が2つあります。
1つめは、「あなた」という単語に「тебя (Ты)」を使っているという点です。ロシア語では、2人称の言い方が2種類あるのですが、この表現は「君」に近く、大変親しい関係か子供などに使う、と教科書では習います。
この点について、弟のセルゲイ氏に聞いてみたところ:
「アレクセイとホロヴィッツがもしロシア語で会話して、それが文字通り記載されているとするなら・・・。アレクセイのホロヴィッツへの尊敬、また初対面であったことから"Ты"をいきなり使うことは有り得ない。おそらく、ホロヴィッツがお互いの距離感を縮めるために、"Ты"で話そう、と提案したのではないか」
と言っています。当時の記録から、彼ら2人がロシア語で話したことは間違いなく、ロシアの新聞社へのインタビューであることを考えると、このロシア語文の再現性は高いと思われます。セルゲイ氏の推察の通り、ホロヴィッツの提案により、二人は60歳以上も年が離れていながらも、友達のように会話をしたのかもしれない、と解釈するのがよさそうです。

2つ目に、新聞社のインタビューの中ではありますが、スルタノフはホロヴィッツのことを「ヴォローヂャ」と呼んでいる、という点です。これも、私たちが「アリョーシャ」と呼ぶ以上に、意味があることと思いますが、やはり1度会って楽しい時間をすごした、という背景があってのことなのかなと感じます。

これらをより深く知るには、ロシアでの文化や、ホロヴィッツが周囲とどういう言葉遣いで接してきたか、というのを知る必要があるでしょうが、興味深いお話ですのでご紹介させていただきました。
posted by Murakami at 12:30| Comment(0) | 歴史

2018年05月26日

スルタノフとホロヴィッツ(ホロヴィッツのピアノ編)

スルタノフとホロヴィッツに関する紹介を続けていますが、今回は、スルタノフがホロヴィッツのピアノを弾いたという件についてをご紹介します。

スルタノフとホロヴィッツは一度出会い、それが最後であったというお話を以前書きました
しかし実は、もう1回運命的な繋がりがあったといいます。

1990年5月3日、スルタノフはニューヨークのカーネギーホールでコンサートを行いました。
このコンサートの日、スルタノフは15台のピアノからコンサート用のピアノを選ぶことが出来ました。
その時に選んだピアノは、ホロヴィッツがモスクワ公演に使ったピアノだったそうです。ホロヴィッツがモスクワ公演で使ったピアノというのは、まさにスルタノフが潜り込んで聞いたコンサートで使ったピアノ、ということになります。これは、"Steinway CD 503"として知られているものですが、スルタノフが選択した時はピアノの背景については知らされておらず、偶然選択したとのことでした。

ホロヴィッツはピアノを2つ所有しており、1つは自宅に、もう1つはカーネギーホールから2ブロック先のピアノショップに置いてありました。スルタノフはコンサートの前に、そのピアノショップに連れていかれたそうです。そこには、巨匠たちが使ったという15台のグランドピアノがありました。スルタノフはそこで試弾をした結果、最弱なピアニシモから最強のフォルテシモまでを作ることが出来る、大変可能性の高いピアノを見つけて、それを選んだということです。実は後になって聞いたところによると、運営側はそのピアノだけは選ばないで欲しいと思っていたそうです。なぜなら、そのピアノを使うためにはホロヴィッツの奥様である、ワンダ夫人の許可が必要であったからです。しかし、スルタノフはそのピアノを選びました。ワンダ夫人も特に気にされる様子はなかったとのことです。

ホロヴィッツを深く敬愛するスルタノフにとって、大変重要な瞬間であったと思います。カーネギーホールで行われたこのリサイタルは、実は録音はこっそり残っているようですので、このピアノ情報も理解した上で聴くとイメージも膨らむでしょう。しかし、ホロヴィッツのピアノを使った、カーネギーホールでのスルタノフのコンサートとはなんと贅沢でしょうか。是非ともライブで聞いてみたかったです。
このカーネギーホールでのコンサートを客席で聞いたという日本人がいると聞いたことがあります。機会があれば是非感想などを聞いてみたいところですね。いらっしゃいませんか!?

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※この写真はカーネギーホールコンサートの日かどうかはっきりしないのですが、この衣装で当日弾いたことだけは間違いないと言われています。
posted by Murakami at 12:39| Comment(0) | 歴史

2018年05月19日

スルタノフとホロヴィッツ(ご対面編)

スルタノフとホロヴィッツシリーズの第2回目、今回はスルタノフとホロヴィッツが対面した時のお話をご紹介します。

スルタノフの本格デビューは 1989年のクライバーンコンクールの優勝後、すなわち1989年の6月以降であり、またホロヴィッツは1989年11月5日に亡くなっていますので、この2人がピアニストとして出会うのは時間軸として奇跡的なことなのですが、2人はホロヴィッツのニューヨークのアパートで1回会っています。

1989年7月27日、スルタノフは David Lettermanの"Late Night" に出演しました(CBSとアーカイブには記録されていますが、NBCのニューヨークスタジオではないかと思います)。これは Late-night talk show と呼ばれるアメリカでは大人気のトークショー番組です。この日スルタノフはクライバーンの優勝者としてテレビ出演し、プロコフィエフのピアノソナタ7番の3楽章の後半を披露しました。ただ、この手の番組にはよくあることですが、演奏家への敬意は全く感じられないというのが、Letterman氏と番組に対するファンからの評価となっています。

さて、実はホロヴィッツはこの時既にスルタノフのことを知っていたようで、興味を示していたようです。まさにこの日の収録後、クライバーン財団とホロヴィッツのプロデューサーでもあったThomas Frost 氏の計らいで、ホロヴィッツが住むマンハッタン東 94丁目のアパートで会っています。この会合は21時から3時間ほどだった、と言われていますが、もともと番組が深夜番組ということで事実として少しはっきりしないところはあります(深夜番組ですが、レコーディングは夜に行われていたのかと推測します)

スルタノフの回想によると、当時ホロヴィッツは85歳と高齢でしたが、元気があって賢く、少しいたずら好きなかんじであったということです。ホロヴィッツはスルタノフに何か弾いてみて、と頼み、スルタノフはまずモーツアルトのピアノソナタを弾きました(おそらく K.330)。すると、ホロヴィッツも同じ曲を「その曲なら知っているよ」と弾いたそうです。また、スルタノフは、ホロヴィッツ版でメフィスト・ワルツも弾いています。2人は、シューベルトの幻想曲(D.940)で4手連弾もして楽しみました。
ホロヴィッツは祖国を離れて60年になっていましたが、ロシア語で話すことを大変喜んだといいます。

別れ際に、ホロヴィッツは、自身の誕生日パーティにスルタノフを招いてくれたようです。ただ、残念ながら、スルタノフはロンドンでファーストアルバムのレコーディング(チャイコフスキーとラフマニノフのピアノ協奏曲)があったため、出席出来ませんでした。そして、ちょうどレコーディングをしていた頃、ホロヴィッツが亡くなったことを知らされたようです。(注:レコーディングの日程、ホロヴィッツの誕生日、亡くなった日あたりは微妙にずれているのですが、本人証言によると上記の通りです)

スルタノフにとっては、夢のような1日であったことでしょうし、もし2回目や3回目があったら、どれだけ素晴らしかったであろうか、と思わせるエピソードです。

スルタノフのホロヴィッツに対する思いのこもった、ライブ・イン・リガのCDのブックレットに、このホロヴィッツ対面のエピソードについても記載してあります。残念ながら生産中止になっていますが、お手元にこのCDがあれば、是非ブックレットを読み返して頂けると嬉しいです。
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posted by Murakami at 12:19| Comment(0) | 歴史