スルタノフがお酒を好んだという話はよく知られています。実際、彼の弟のセルゲイ氏も、日本酒を水のように飲みますし、またお父さんのファイザル氏も私がお会いした時には、何倍もウォッカを楽しまれていました。では、アレクセイはどのようなお酒を好んだのでしょうか。
セルゲイ氏に聞いてみたところ、そもそもソ連時代にはよいお酒というのがあまりなかったこともあり、ウォッカ、赤ワイン、コニャックなどを飲んだということです。ロシアも今ではバルティカビールなどがありますが、当時はなかったということもあり、ビールはあまり飲まなかっただろうということです。
そういえば、かつて「スルタノフワイン」という写真を頂いたことがありました。
日本公演での打ち上げでは、日本酒を飲んでいた記録もあるようです。
ところでロシアのウォッカといえば、ルースキースタンダルトが美味しいです。
スルタノフも飲んだのでしょうか。弟のセルゲイ氏は世代が違うからか、ウォッカは好んで飲まないようです。
ところで、スルタノフとナウモフ門下同門のマキシム・モギレフスキー先生にかつて最も美味しいお勧めのウォッカとして、ベルーガを教えて頂きました。ご興味ある方は是非お試し下さい!
2018年08月25日
スルタノフが好んだお酒とは
posted by Murakami at 11:37| Comment(0)
| 一般
2018年08月18日
スルタノフが読んだ本
アレクセイ少年は、少年時代にどのような本を読んで育ったのでしょうか。
シャーロック・ホームズシリーズを大変好んでいた、という話はわりとよく知られていました。
そこで、他にもどのような本を読んでいたのか、弟のセルゲイ氏に話を聞いてみました。
彼らは年齢が7つも違うので、覚えていないこともあるようですが、はっきり認識しているのは、デュマの三銃士がとても好きだったということだそうです。
アリョーシャ少年は、タシケントにいた頃、「アトス」というニックネームまであったようです。
そういう話を聞いてみると、もう一度読んでみようかな、という気になりますね!
シャーロック・ホームズシリーズを大変好んでいた、という話はわりとよく知られていました。
そこで、他にもどのような本を読んでいたのか、弟のセルゲイ氏に話を聞いてみました。
彼らは年齢が7つも違うので、覚えていないこともあるようですが、はっきり認識しているのは、デュマの三銃士がとても好きだったということだそうです。
アリョーシャ少年は、タシケントにいた頃、「アトス」というニックネームまであったようです。
そういう話を聞いてみると、もう一度読んでみようかな、という気になりますね!
posted by Murakami at 16:36| Comment(0)
| 一般
2018年08月05日
スルタノフが使った楽譜の版
ピアノを弾かれる方にとって、曲を演奏をするときにどの楽譜を使うか、というのは大きなテーマです。そこで、興味深いのは、いったいスルタノフはどの版を使っていたかどうかです。
この謎を解明するためには、ご家族のもとに残された楽譜を整理する必要があります。
しかし、ショパンについて言えば、パデレフスキ版を使っていただろう、ということがわかっています。
そのヒントの1つとなったのが、ご家族から頂いたこちらの写真です。パデレフスキ版の即興曲の楽譜がピアノの上にあり、少なくとも所有していた、ということはわかります。
(なお、その後ろに重なって開かれている楽譜ですが、左側の音符の見えるページから推測すると、シューベルトの即興曲op.90-3の最後の1ページではないかと推測されます。op.90-4はスルタノフが晩年得意とした曲ですので、どちらかというとそちらのページを開いている、と解釈したほうがよさそうです。)
さて、最近スルタノフの弟のセルゲイ氏と話す機会があったので、そこらへんについて聞いてみました。
やはり、ショパンについては、パデレフスキ版を使っていたと証言しています。(一方で、一部の演奏からは、必ずしもパデレフスキ版の音符通りに演奏していないことも確認されています。例:op.48-1など)
なお、楽譜の中身ですが、スルタノフはあまり楽譜に書き込みをするタイプではなく、唯一書き込んだであろう内容は、指づかいだそうです。また、ナウモフ先生はあまり書き込まないタイプであったそうで、もし激しい書き込みがあったとすれば、それはポポヴィッチ先生でしょう、ということです。
スルタノフが使った楽譜が実際どうだったかを調べるのは、現在のスルタノフ研究の重要なテーマの1つであり、是非将来的には実現したいところです。まずは、「ショパンはパデレフスキ版を使っていたのではないか」と知って頂ければよいかと思います。
この謎を解明するためには、ご家族のもとに残された楽譜を整理する必要があります。
しかし、ショパンについて言えば、パデレフスキ版を使っていただろう、ということがわかっています。
そのヒントの1つとなったのが、ご家族から頂いたこちらの写真です。パデレフスキ版の即興曲の楽譜がピアノの上にあり、少なくとも所有していた、ということはわかります。
(なお、その後ろに重なって開かれている楽譜ですが、左側の音符の見えるページから推測すると、シューベルトの即興曲op.90-3の最後の1ページではないかと推測されます。op.90-4はスルタノフが晩年得意とした曲ですので、どちらかというとそちらのページを開いている、と解釈したほうがよさそうです。)
さて、最近スルタノフの弟のセルゲイ氏と話す機会があったので、そこらへんについて聞いてみました。
やはり、ショパンについては、パデレフスキ版を使っていたと証言しています。(一方で、一部の演奏からは、必ずしもパデレフスキ版の音符通りに演奏していないことも確認されています。例:op.48-1など)
なお、楽譜の中身ですが、スルタノフはあまり楽譜に書き込みをするタイプではなく、唯一書き込んだであろう内容は、指づかいだそうです。また、ナウモフ先生はあまり書き込まないタイプであったそうで、もし激しい書き込みがあったとすれば、それはポポヴィッチ先生でしょう、ということです。
スルタノフが使った楽譜が実際どうだったかを調べるのは、現在のスルタノフ研究の重要なテーマの1つであり、是非将来的には実現したいところです。まずは、「ショパンはパデレフスキ版を使っていたのではないか」と知って頂ければよいかと思います。
posted by Murakami at 21:15| Comment(0)
| 一般
2018年03月21日
ウスペンスキー音楽学校とスルタノフ
前回の、ポポヴィチ先生の特集ビデオに続き、今度は、ウスペンスキー音楽学校の特集ビデオが公開されていましたので、ご紹介させて頂きます。スルタノフがどういう環境で幼少期を過ごしたのかが理解出来る大変貴重な資料になっています。
この動画の中では、ポポヴィチ先生のインタビューが何度か取り上げており、タシケントの音楽教育において、いかにポポヴィチ先生が重要な位置づけであったかがよくわかります。
22:55 頃に、リスト=ホロヴィッツのハンガリー狂詩曲第2番を弾いている貴重な動画が入っています。
このコンサートは、ステージ上にピアノが2台あり、また椅子もちょっと変わっていて不思議なコンサートですが、ひょっとするとマスタークラスの後の模範演奏なのかもしれません。
スルタノフは1999年の11月に、祖母であり、有名なウズベク女優でもあるZamira Khidoyatova のための記念コンサートをタシケントで開いています。11月19日にもコンサートをしていますが、祖母への記念コンサートは、11月20日に、タシケントの Turkistan というコンサートホールで行われた、という記録があります。
さて、この動画で記録されているコンサートはその2つとは異なるようで、おそらく以下の写真からも11月23日に行われたものかと思います。この写真も、ひょっとするとポポヴィチ先生との最後のツーショットかもしれない、貴重な写真です。
最後に、このコンサートの関係者一同で撮影した写真があるようです。スルタノフファンの皆さんは、何人ご存知でしょうか。
この動画の中では、ポポヴィチ先生のインタビューが何度か取り上げており、タシケントの音楽教育において、いかにポポヴィチ先生が重要な位置づけであったかがよくわかります。
22:55 頃に、リスト=ホロヴィッツのハンガリー狂詩曲第2番を弾いている貴重な動画が入っています。
このコンサートは、ステージ上にピアノが2台あり、また椅子もちょっと変わっていて不思議なコンサートですが、ひょっとするとマスタークラスの後の模範演奏なのかもしれません。
スルタノフは1999年の11月に、祖母であり、有名なウズベク女優でもあるZamira Khidoyatova のための記念コンサートをタシケントで開いています。11月19日にもコンサートをしていますが、祖母への記念コンサートは、11月20日に、タシケントの Turkistan というコンサートホールで行われた、という記録があります。
さて、この動画で記録されているコンサートはその2つとは異なるようで、おそらく以下の写真からも11月23日に行われたものかと思います。この写真も、ひょっとするとポポヴィチ先生との最後のツーショットかもしれない、貴重な写真です。
最後に、このコンサートの関係者一同で撮影した写真があるようです。スルタノフファンの皆さんは、何人ご存知でしょうか。
posted by Murakami at 21:14| Comment(0)
| 一般
2018年03月17日
アレクセイ・スルタノフコンクールの可能性
世の中には、偉大な作曲家やピアニストの名前を冠にした国際コンクールがたくさんあります。例えばスルタノフが優勝した、ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールもその1つです。ウラディミール・ホロヴィッツ記念国際ピアノコンクールというものもあります。
実は、いまだに実現には至っていませんが、スルタノフの名前を冠にした、コンクールも検討されているのです。以下の記事から抜粋します。
Music Culture of the 20th Century Uzbekistan
これは、実に素晴らしいことだと思います。今では世界中に国際コンクールが大量にありますが、ウズベキスタンには大きな国際コンクールはありません。例えばAlink-Argerich Foundationのコンクール検索でも国として選択肢がない状態です。お隣カザフスタンには、アルマティ国際ピアノコンクールなど知名度の高いものもありますが、タシケントにはないのです。
ウズベキスタンからは、スルタノフはもちろん、イェフィム・ブロンフマン、ベフゾド・アブドゥライモフ、スタニスラフ・ユデニッチ、アンナ・マリコヴァなど、世界的に活躍するピアニストが大量輩出されているわけであり、国として1つ大きいコンクールを持っているかどうかは大きな影響があると思います。スルタノフ記念コンクールは、まさにそんなウズベキスタンに必要とされるコンクールだと思います。
上記の記事は2010年に執筆されたものでその後8年が経過していますが、まだ実現される見込みはありません。しかし、スルタノフの弟のセルゲイ氏に話を聞いてみたところ、実現は容易ではないものの、やはりこういった動きはあるとのことです。ウズベキスタンの文化関係者とも会話は行われているようですが、今後に期待しましょう。このコンクールを開催することは、セルゲイ氏の夢の1つであると聞いています。
さて、もしコンクールが開催されるとしたら、気になるのは、審査員や課題曲、そしてどういう参加者が集まるかどうか、というところです。やはり、アカデミックな解釈にこだわりすぎず、真の音楽の美しさを追求する、という評価基準で審査されるのでしょう。
審査員や課題曲については、スルタノフのキャリアなどを考えつつ、ファンの皆さん各自、いろいろな妄想が出来るのではないでしょうか。私も、誰を審査員に呼べばいいのか、また、課題曲を何にするのか、などを妄想すると、わくわくします。
実現に向けてのハードルはかなり高いのでは、という意見がありつつも、スルタノフのように、新しい挑戦に恐れることなく、際限ない芸術的な高みを目指せる若い音楽家を、スルタノフの名前のついたコンクールで発掘する。こんな素晴らしい企画を是非実現させたい場合は、是非、スルタノフのご家族などと話す機会があったときに、その思いを伝えてあげて下さい。日本からご支援出来ることがどれだけあるかわかりませんが、一言一言の前向きな意見が、きっと関係者への原動力となると思います。
※以下はSNSのために作成した妄想ロゴです。
実は、いまだに実現には至っていませんが、スルタノフの名前を冠にした、コンクールも検討されているのです。以下の記事から抜粋します。
Music Culture of the 20th Century Uzbekistan
アレクセイ・スルタノフを記念した「若い音楽家のための国際コンクール」を実施しようという動きがある。このアイディアが実現し、彼の名前が美しい音楽祭の中で永遠に残ることになれば、どれだけ素晴らしいことであろうか。
これは、実に素晴らしいことだと思います。今では世界中に国際コンクールが大量にありますが、ウズベキスタンには大きな国際コンクールはありません。例えばAlink-Argerich Foundationのコンクール検索でも国として選択肢がない状態です。お隣カザフスタンには、アルマティ国際ピアノコンクールなど知名度の高いものもありますが、タシケントにはないのです。
ウズベキスタンからは、スルタノフはもちろん、イェフィム・ブロンフマン、ベフゾド・アブドゥライモフ、スタニスラフ・ユデニッチ、アンナ・マリコヴァなど、世界的に活躍するピアニストが大量輩出されているわけであり、国として1つ大きいコンクールを持っているかどうかは大きな影響があると思います。スルタノフ記念コンクールは、まさにそんなウズベキスタンに必要とされるコンクールだと思います。
上記の記事は2010年に執筆されたものでその後8年が経過していますが、まだ実現される見込みはありません。しかし、スルタノフの弟のセルゲイ氏に話を聞いてみたところ、実現は容易ではないものの、やはりこういった動きはあるとのことです。ウズベキスタンの文化関係者とも会話は行われているようですが、今後に期待しましょう。このコンクールを開催することは、セルゲイ氏の夢の1つであると聞いています。
さて、もしコンクールが開催されるとしたら、気になるのは、審査員や課題曲、そしてどういう参加者が集まるかどうか、というところです。やはり、アカデミックな解釈にこだわりすぎず、真の音楽の美しさを追求する、という評価基準で審査されるのでしょう。
審査員や課題曲については、スルタノフのキャリアなどを考えつつ、ファンの皆さん各自、いろいろな妄想が出来るのではないでしょうか。私も、誰を審査員に呼べばいいのか、また、課題曲を何にするのか、などを妄想すると、わくわくします。
実現に向けてのハードルはかなり高いのでは、という意見がありつつも、スルタノフのように、新しい挑戦に恐れることなく、際限ない芸術的な高みを目指せる若い音楽家を、スルタノフの名前のついたコンクールで発掘する。こんな素晴らしい企画を是非実現させたい場合は、是非、スルタノフのご家族などと話す機会があったときに、その思いを伝えてあげて下さい。日本からご支援出来ることがどれだけあるかわかりませんが、一言一言の前向きな意見が、きっと関係者への原動力となると思います。
※以下はSNSのために作成した妄想ロゴです。
posted by Murakami at 16:11| Comment(0)
| 一般