2018年06月17日

スルタノフの演奏に見るホロヴィッツの影響(モーツァルト)その2

前回のブログで、スルタノフが演奏するモーツァルトのソナタの演奏に、ホロヴィッツの影響が見られる、というお話をしました。
前回ご紹介したのは、K.330 の第1楽章の演奏です。それでは、他の楽章はどうかというのも気になるところです。
一般的にスルタノフファンの間で幅広く知られている K.330 の録音は、クライバーンコンクールのライブ録音であり、2, 3楽章だけが演奏されています。音源はコンクールのオフィシャルCDに入っており、また一部の映像はオフィシャル DVD の "Here to make music" に収録されています。

冒頭の映像:


3楽章のフル音源:


この演奏は、希望と幸せに満ち溢れ、上から押しつけられたところのない、10代の男の子らしい快活な表現が満載の大変気持ちのよい演奏です。
ところで、このよく知られた3楽章の演奏に対して、2004年8月21日に開催した「ライブ・イン・リガCD発売イベント」で、出席された作曲家の先生からこのような解説がありました。
最後の和音をホロヴィッツはバラして弾くが、スルタノフはバラさないで弾く

これは、まさに最後の以下の3つの音のことです。確かにコンクールでの録音を聞くと、スルタノフは楽譜通りに弾いています。
Mozart-KV330-2.png

では、ホロヴィッツが 1986年のモスクワ公演でどのようにここの箇所を弾いたかを確認してみると、こちらも確かにペダルを使い華やかなアルペジオで弾いています。同時16歳となるスルタノフも未来の妻となるDace嬢と一緒にこれを聴き、刺激を受けたことでしょう。


さて。コンクールでは確かにバラさず弾いていたものの、他の時はどうだったのでしょうか。
前回ご紹介した1楽章の録音には、続きの楽章の録音があります。1991年12月20日ギリシャのアテネ公演の録音ではないかと言われているものです。

この録音を聴くと、最後の和音はアルペジオで弾いていることがわかります!もちろん、ホロヴィッツの影響を受けたものだと思います。同様に、1990年5月3日のカーネギーホール公演でも、アルペジオで弾いたようです。

余談になりますが、スルタノフは1991年および1999年の来日公演でも、このソナタを演奏しています。
1991年の来日公演については演奏記録がなくわかりませんが、1999年の来日では、3楽章はクライバーンコンクールの時と同様、バラさずに弾いていたと記憶しています。その時々にあったスタイルできっと演奏されているのだと思います。
ホロヴィッツのアパートに招かれた時も、このソナタを演奏した、ということですが、果たしてどちらの弾き方をしたのか興味深いところです。
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2018年05月12日

スルタノフとホロヴィッツ(妻 Daceとの出会い編)

今回から4回に渡り、スルタノフとホロヴィッツに関する話を書いてみます。
まずは大変有名な、スルタノフと奥様 Daceさんとの出会いのお話です。
スルタノフご夫妻.jpg

1986年の4月20日(少し雨が降ったといいます)に、ホロヴィッツはモスクワ音楽院の大ホールで歴史的なコンサートを行いました。このコンサートはホロヴィッツの60年ぶりの祖国ロシアでの公演ということもあり、チケットは大変人気があり、さらに高価だったので、当時の学生たちには買えるものではありませんでした。それでもコンサートが聴きかった音楽院の学生約15人は、スルタノフに連れられて大ホールに隣接する建物のハシゴをのぼり、そこからホールの屋根に飛び移りました。まずはスルタノフが、そして他の学生も次々に続きます。その時に、あるブロンドの美人学生が雨に濡れて滑りやすい、斜めの屋根で滑りました(死ぬかと思った、とのこと)。その時に彼女の手をとったのがスルタノフです。スルタノフは当時から神童として音楽院でも有名で、もちろん彼女もスルタノフのことをよく知っていましたが、スルタノフのほうは彼女を知りません。後に有名となったセリフですが、「僕はとっさにそばにあったアンテナを掴み、もう一方の手で彼女を掴んだ。その子を見たら悪くなくってね、それで助けてあげたのさ。」と、助けてあげました。その彼女が後の妻になる、Dace Abele さんです。彼女はラトビアのリガからやってきて、モスクワ音楽院でチェロを勉強していた当時16歳の学生です。
それから、学生たち、特にスルタノフとDaceさんは肩を並べて大ホールの屋根裏からコンサートを聴いたのですが、そこからは全てが見えたといいます。もちろん、演奏するホロヴィッツも見えたし、鍵盤も全て見えたということです。
この数年後に、スルタノフはホロヴィッツと会いますが、このエピソードの話をすると、ホロヴィッツは笑って謝ったといいます。スルタノフも「あなたのせいで、結婚することになってしまいましたよ」と言ったとか。
後に2人は 1991年10月31日に、テキサス州のフォートワースで結婚式をあげました。

このお話は、とてもロマンティックで、この話が大好きなファンも多いのですが、なかなか想像がつきにくいところもあります。そこで、少し現地がどんなかんじだか見てみましょう。

まず以下の写真がモスクワ音楽院で、この写真の正面が大ホールであったはずです。隣の建物から、ホールの斜めの屋根に飛び移ったと記録がありますので、ひょっとすると奥の建物から手前に飛んだのかもしれません。(真相不明)

Moscow 05-2017 img41 Conservatory.jpg
By A.Savin (Wikimedia Commons ・ WikiPhotoSpace) - 投稿者自身による作品, FAL, Link



以下はホロヴィッツのコンサートの映像からの引用で、モスクワ音楽院の大ホールの中です。ステージの上あたりは、屋根の上から直結で行ける素敵なスペースがあるのかもしれません。
Horowitz in Moscow.png

なお、実はこのエピソードが取り上げられているドキュメンタリーフィルムがあり、理解のためのヒントになるのですが、残念ながらロシア語ナレーションで字幕がありません。ご興味がある方は 4:10 あたりからにご注目下さい。


ホロヴィッツのこのモスクワ公演はCDやDVDにもなっています。全く同じ日の公演ですので、これを見るだけで、若き日のスルタノフが会場にいることも感じることが出来るでしょう。
当日の演目には、スルタノフが後に得意としていたモーツァルトのピアノソナタ10番 K.330や、スクリャービンの練習曲 op.2-1やop.8-12 もあります。影響もいろいろあったのでしょう。モーツァルトのトリルの入れ方なども、とても影響があって興味深いです。

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2018年03月03日

タマーラ・ポポヴィチ先生とスルタノフ

スルタノフが習った先生といえば、ウズベキスタン・タシケントでのタマーラ・ポポヴィチ先生(Tamara Afanasyevna Popovich / 1926.3.29 - 2010.8.6)と、モスクワでのレフ・ナウモフ先生です。スルタノフは 6歳からポポヴィチ先生に師事しており、スルタノフ史を語るにあたっても非常に重要です。

そんな中、先日 Facebook で大変貴重な動画が投稿されました。


この動画は、ポポヴィチ先生とその生徒たちを特集する動画です。スルタノフもポポヴィチ門下を代表するピアニストとして、冒頭に、クライバーンコンクールとショパンコンクールの演奏、そして後半には、リスト=ホロヴィッツのハンガリー狂詩曲第2番を演奏し、ステージからポポヴィチ先生に花束を渡しています。ポポヴィチ先生の嬉しそうなお顔。特にこの後半の動画は大変貴重で、スルタノフファンの多くも初見ではないでしょうか。

ウズベキスタンの神童たちは、だいたいポポヴィチ先生の教育を受けて、それからモスクワ音楽院やグネーシンに行くケースが多いようです。タシケントには、タシケント音楽院の付属学校的な位置づけとして、子供たちのための音楽教育機関のウスペンスキー音楽学校があります。ポポヴィチ先生も、これらの学校で指導をしており、スルタノフもここでレッスンを受けています。
弟、セルゲイ氏の証言によれば、ポポヴィチ先生は大変厳しく、多大な練習量をスルタノフに課した、と言われています。しかし、スルタノフはポポヴィチ先生を大変親しく思っており、フォートワースに移動後も、2年に一度はポポヴィチ先生をお招きしたそうです。ポポヴィチ先生は、スルタノフが病気になったときも、お見舞いに駆けつけてきてくれたそうで、そこには信頼しあう美しき師弟愛があると思います。

さて、スルタノフとポポヴィチ先生の関係について書かれた素晴らしい記事があるので、ご紹介させて頂きたいと思います。
Music Culture of the 20th Century UzbekistanGoogle翻訳による日本語訳

この中で、ポポヴィチ先生はスルタノフについてこのように語っています。
「アリョーシャは音楽をとてつもなく大きいスケールで読み取る能力があり、また感情面で大変恵まれていました。彼はステージ上で恐れを知らないという意味で、素晴らしい演奏家でした。」
この「恐れを知らない」という言葉は、スルタノフの奥様もよく使っていましたが、スルタノフのテクニックや音楽的才能もさることながら、この個性こそ、スルタノフを他のピアニストと大きく差別化する要因だったのではないかな、と思います。

最後に、ご家族から拝借した、スルタノフとポポヴィチ先生の思い出の写真を1枚紹介します。これはレッスン中の写真でしょうか。楽譜からは、ショパンの華麗なる大円舞曲のレッスンなのかと想像出来ます。
ポポヴィチ先生については、あまり資料がない状況ですが、どのようなレッスンをしたのか、大変興味深いところです。
alexei-and-popovich.jpg
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2018年02月19日

雑誌ショパン3月号にて紹介されています

2月17日発売の、雑誌「ショパン」3月号では、世界の音楽ガイドブックという特集があり、その「ロシア」のページの中で、スルタノフが紹介されています。


様々な国が紹介される中で、ロシアはピアニストの江本純子さんと、日高志野さんが執筆して下さっています。江本さんは、スルタノフの師匠のレフ・ナウモフ先生からレッスンを受けていた経験もお持ちで、何度もロシアに行かれてはロシア音楽やロシア作曲家などを研究されています。日高さんは、現在もモスクワ音楽院で勉強されていて、前回のチャイコフスキーコンクールは日本人唯一出場されており、ご存知の方も多いかと思います。

各国ピアニストが2名紹介される中で、ロシアからは、スルタノフとマツーエフが紹介されています。スルタノフについて執筆したのは日高さんと聞いていますが、江本さんとスルタノフの貴重のツーショット写真も公開されています。先日、こちらのブログでも父称について紹介しましたが、さすがロシアの専門家が書いただけあって、登場する全音楽家は父称付で紹介されています。
その他、スルタノフが勉強した、モスクワ音楽院はもちろんのこと、中央音楽学校まで写真付で記載があり、ファンには非常に魅力的な内容となっています。

記事の中では、1996年の幻想即興曲の録音を是非聞きましょうということですので、最後に同年のポーランドでの演奏会の動画を紹介しておきます。


ショパンは音大生からピアノ愛好家、ピアノ教師まで、幅広い読者層から読まれていると思いますが、ロシアというのはピアノ業界において今、注目度が高まっておりますし、これを機にスルタノフの名前を知ってもらったり、また、演奏を聴いてもらう機会になってもらえると嬉しいです。
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2018年02月03日

スルタノフとプロフ

スルタノフはウズベキスタンの出身ですが、ウズベキスタン料理で有名なものの1つに「プロフ」というものがあります。これは、ピラフを想像するとよいですが、中央アジアではよくあるように、肉は羊肉がよく使われます。

ウズベキスタンのプロフ - ロシア・ビヨンド

スルタノフは、この「プロフ」がとても好きだったといいます。家でもよく自分で作ったようですし、スルタノフ夫人も未だに作って食べるようです。

昨年、モスクワのスルタノフご家族(ご両親、弟のセルゲイさんとそのフィアンセ)を当支援会を中心とした日本人ファン一同で訪問した時に、スルタノフのお父様(ファイザルさん)が、歓迎のためのプロフを作って下さいました。ウズベキスタンでは、プロフは男性が作ることが多いようです。
その時の写真を共有させて頂きます。
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この時は日本人ゲストが多かったため、日本人の味覚にあわせて、羊肉ではなく牛肉を使って作って下さいました。しかし、この写真のプロフこそ、スルタノフが幼いころから食べていたものであり、演奏のパワーの源であったのだと思います。

さて、スルタノフとプロフといえば、もう1枚貴重な写真があります。
これは、1997年に撮影されたものですが、こちらはスルタノフ自身が料理した時の写真です。
奥様の証言によると、毎日料理するわけではなかったけれど、時々料理するプロフの味は絶品で、シェフとしてもすばらしかったとのことです。
Alexei and his plov 1997.jpg

プロフは日本のレストランでも食べれるところがありますし、是非スルタノフの食生活にならって、パワーいっぱいでピアノ演奏をしてみた方は、お試し下さい。
posted by Murakami at 21:48| Comment(0) | ご家族