2018年11月04日

Sultanov Encoresシリーズ、バッハ プレリュード

Sultanov Encores シリーズの4つ目は、こちらの演奏です。1997年の大阪公演でのアンコールでの録音になります。



さて、この演奏は間違いなく、賛否両論があると思います。一応タイトルは、「Bach Prelude in C」となっており、平均律1巻のプレリュードを弾いているのですが、聞いたことのないテンポで演奏されています。
この曲を聴く場合は、バッハのプレリュードが演奏されているとするよりは、新しい演奏のアイディアが提示されていると考えたほうがよいかと思います。よく聴いてみると、ダイナミクスやパッセージの作り方など、個性豊かな演奏になっていますので、第一印象で決めずに、一度じっくり聴いてみて下さい。

スルタノフは主に1997年のシリーズに、アンコールピースとして時々この曲を使っていました。この録音が大阪公演の録音であるように、東京など、日本公演でも演奏しています。インパクトのあるピースですので、覚えている方もいらっしゃると思います。

さて、スルタノフはその後 1998 年のチャイコフスキーコンクールに出るわけですが、その時のバッハの平均律には、この第1巻の1番を選んでいます。(1986年に出た時は第2巻の21番を弾いています。)
その時は、上記のようではなく、バッハの作品として演奏しています。



スルタノフがこのバッハのプレリュードをいかに好んでいたかは、電子ピアノで遊びながら作ったというこの作品にもあらわれています。この曲は、「ライブ・イン・リガ」のCDの最後に収録され、伊賀あゆみ&山口雅敏ピアノデュオによって、スルタノフコンサートでもたびたび編曲されながら演奏されています。



スルタノフのアイディアあふれる演奏と、そこから派生する新しい音楽をお楽しみ下さい!
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2018年09月22日

クライバーンコンクールのビデオ予選

スルタノフのクライバーンコンクールに関してはこれまで様々な形で報道されていますが、案外きちんと伝えられていないのは、予備予選のビデオ審査についてです。

スルタノフがビデオ審査で、以下のメフィストワルツを弾いたことは大変有名です。


この映像が、クライバーンコンクールのビデオ審査のために収録されたことは、ドキュメンタリーフィルム"Here to make music" の中でも数秒公開されているため、明らかです。

ここでの疑問として、なぜスルタノフは当時モスクワに住んでおり、モスクワ音楽院に通っていたにも関わらず、サンクトペテルブルクでビデオを撮影したのか、ということです。
このことについて、弟のセルゲイ氏について聞いてみたところ、「あのビデオはコンクール運営事務局が撮影したもので、その会場がサンクトペテルブルクであったから」ということです。最近ではビデオ審査というと、コンテスタントが自身で撮影するイメージがありますが、当時の映像技術や公平性などを考えると、そういうものなのかもしれません。

この内容の裏づけのために、以下の本を確認してみました。


この P.222-227 に今回のことに関連する内容が書いてあります。クライバーンコンクールでは、ビデオ審査を公正にするために録音装置などを工夫して、各都市における条件を均一にして、17の会場の音響的な相違が最小限度におさえられる形で実施したようです。
また、その結果として「おのおのの応募者は、自分が演奏した45分のリサイタルから、25分を選び、それに従いテープは編集された」ということです。スルタノフがどういう45分のリサイタルをしたかは情報がありませんが、少なくとも以下のラフマニノフのエチュードもあわせて収録されたと思います。



ソ連からの出場者については以下の記述があります。
ソ連からの4名は、当初の15人のグループから、まずソ連側がレニングラードで選考を行い、そのうちから5名が、クライバーン当局により、ビデオ撮影候補に選ばれたものだった。

最終的に、ソ連からは以下の4名が参加しました。
- アレクセイ・スルタノフ(第1位)
- アレクサンドル・シュタルクマン(第4位)
- エリッソ・ヴォルクヴァゼ(第6位)
- ヴェロニカ・レズニコフスカヤ

こちらが、オフィシャルな結果になります。USSRは強いですね。
EIGHTH VAN CLIBURN INTERNATIONAL PIANO COMPETITION
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2018年09月02日

スルタノフ兄弟の連弾

兄弟でピアニストであれば、一度は連弾という話があると思います。アレクセイとその弟セルゲイは年の差7歳であり、兄アレクセイは19歳でヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールに優勝してから、拠点がモスクワからアメリカになっていますので、一緒に過ごした期間はかなり限定されますが、それでも連弾などをしたことがあるのか、という質問をセルゲイ氏にしてみました。

公の場では演奏はしたことはないそうですが、家で楽しむ程度に2人で弾いたことはあるそうです。
例えば作品としては、ラヴェルのマ・メール・ロワ。
録音はないですが、以下は気分を味わう参考資料として、アルゲリッチ&ランランの演奏です。


他にはシューベルトの作品をいくつか弾いたそうです。
スルタノフのシューベルトの連弾といえば、ホロヴィッツと演奏した幻想曲を思い出しますが、そうではなく軍隊行進曲など別の作品で遊んだようです。
(参考:スルタノフとホロヴィッツ(ご対面編): アレクセイ・スルタノフ情報

また、ベートーベンの交響曲の連弾なども兄弟で楽しんだようでした。

なお、私は弟のセルゲイとは連弾をした経験があります。合わせ時間はあまりない中での本番だったのですが、結構攻めるタイプなのだと感じました。兄の影響もあったのかもしれませんね。
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2018年08月12日

続・アレクセイ・スルタノフコンクールの可能性

以前、アレクセイ・スルタノフコンクールの可能性というエントリを投稿しましたが、その後、コンクールの実現に情熱を持つ、アレクセイの弟、セルゲイ氏と会話する機会がありましたので、その現状についてを確認しました。その内容をご報告します。

セルゲイ氏は実現にあたり、各種課題があることを認識しています。例えば、資金であったり、コンクールで使うホールや、ピアノなどです。それに進むためにも、まず実現のために、政府の許可を得ようと、ウズベキスタンの文化大臣との交渉を行いました。なおウズベキスタンの文化大臣は、彼らの父親であるチェリストのファイザル・スルタノフ氏の知人になります。
ところが、残念ながらこの文化大臣からはよい回答が得ることが出来ず、それで企画は停止になっています。大臣は資金援助などに No と言っているのではなく、実施許可自体を No と言っています。日本から何か実現にあたって支援して欲しいことがあるか確認してみましたが、まず先に、問題を乗り越える必要があります。大臣というのは、いずれ変わるものですから、将来に向けてじっくりと進めればよいと考えていました。セルゲイ氏もコンクール設立のプロフェッショナルというわけではないですし、またアレクセイとウズベキスタンの難しい関係もあるので、一旦は保留としつつも、将来機会が来たときはそこを逃さずに、ということになるでしょう。

偉大な芸術家を輩出しながらも、コンクール設立に向けて前へ進むことが難しい状態ではありますが、私たちもその実現を応援したいと思いますし、国際コンクールの設立などに詳しい方のアドバイスがありましたら、それは大変ありがたいことだと思います。

AlexeiSultanovCompetition.jpg
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2018年06月17日

スルタノフの演奏に見るホロヴィッツの影響(モーツァルト)その2

前回のブログで、スルタノフが演奏するモーツァルトのソナタの演奏に、ホロヴィッツの影響が見られる、というお話をしました。
前回ご紹介したのは、K.330 の第1楽章の演奏です。それでは、他の楽章はどうかというのも気になるところです。
一般的にスルタノフファンの間で幅広く知られている K.330 の録音は、クライバーンコンクールのライブ録音であり、2, 3楽章だけが演奏されています。音源はコンクールのオフィシャルCDに入っており、また一部の映像はオフィシャル DVD の "Here to make music" に収録されています。

冒頭の映像:


3楽章のフル音源:


この演奏は、希望と幸せに満ち溢れ、上から押しつけられたところのない、10代の男の子らしい快活な表現が満載の大変気持ちのよい演奏です。
ところで、このよく知られた3楽章の演奏に対して、2004年8月21日に開催した「ライブ・イン・リガCD発売イベント」で、出席された作曲家の先生からこのような解説がありました。
最後の和音をホロヴィッツはバラして弾くが、スルタノフはバラさないで弾く

これは、まさに最後の以下の3つの音のことです。確かにコンクールでの録音を聞くと、スルタノフは楽譜通りに弾いています。
Mozart-KV330-2.png

では、ホロヴィッツが 1986年のモスクワ公演でどのようにここの箇所を弾いたかを確認してみると、こちらも確かにペダルを使い華やかなアルペジオで弾いています。同時16歳となるスルタノフも未来の妻となるDace嬢と一緒にこれを聴き、刺激を受けたことでしょう。


さて。コンクールでは確かにバラさず弾いていたものの、他の時はどうだったのでしょうか。
前回ご紹介した1楽章の録音には、続きの楽章の録音があります。1991年12月20日ギリシャのアテネ公演の録音ではないかと言われているものです。

この録音を聴くと、最後の和音はアルペジオで弾いていることがわかります!もちろん、ホロヴィッツの影響を受けたものだと思います。同様に、1990年5月3日のカーネギーホール公演でも、アルペジオで弾いたようです。

余談になりますが、スルタノフは1991年および1999年の来日公演でも、このソナタを演奏しています。
1991年の来日公演については演奏記録がなくわかりませんが、1999年の来日では、3楽章はクライバーンコンクールの時と同様、バラさずに弾いていたと記憶しています。その時々にあったスタイルできっと演奏されているのだと思います。
ホロヴィッツのアパートに招かれた時も、このソナタを演奏した、ということですが、果たしてどちらの弾き方をしたのか興味深いところです。
posted by Murakami at 17:55| Comment(0) | ご家族