スルタノフが習った先生といえば、ウズベキスタン・タシケントでのタマーラ・ポポヴィチ先生(Tamara Afanasyevna Popovich / 1926.3.29 - 2010.8.6)と、モスクワでのレフ・ナウモフ先生です。スルタノフは 6歳からポポヴィチ先生に師事しており、スルタノフ史を語るにあたっても非常に重要です。
そんな中、先日 Facebook で大変貴重な動画が投稿されました。
この動画は、ポポヴィチ先生とその生徒たちを特集する動画です。スルタノフもポポヴィチ門下を代表するピアニストとして、冒頭に、クライバーンコンクールとショパンコンクールの演奏、そして後半には、リスト=ホロヴィッツのハンガリー狂詩曲第2番を演奏し、ステージからポポヴィチ先生に花束を渡しています。ポポヴィチ先生の嬉しそうなお顔。特にこの後半の動画は大変貴重で、スルタノフファンの多くも初見ではないでしょうか。
ウズベキスタンの神童たちは、だいたいポポヴィチ先生の教育を受けて、それからモスクワ音楽院やグネーシンに行くケースが多いようです。タシケントには、タシケント音楽院の付属学校的な位置づけとして、子供たちのための音楽教育機関のウスペンスキー音楽学校があります。ポポヴィチ先生も、これらの学校で指導をしており、スルタノフもここでレッスンを受けています。
弟、セルゲイ氏の証言によれば、ポポヴィチ先生は大変厳しく、多大な練習量をスルタノフに課した、と言われています。しかし、スルタノフはポポヴィチ先生を大変親しく思っており、フォートワースに移動後も、2年に一度はポポヴィチ先生をお招きしたそうです。ポポヴィチ先生は、スルタノフが病気になったときも、お見舞いに駆けつけてきてくれたそうで、そこには信頼しあう美しき師弟愛があると思います。
さて、スルタノフとポポヴィチ先生の関係について書かれた素晴らしい記事があるので、ご紹介させて頂きたいと思います。
Music Culture of the 20th Century Uzbekistan(Google翻訳による日本語訳)
この中で、ポポヴィチ先生はスルタノフについてこのように語っています。
「アリョーシャは音楽をとてつもなく大きいスケールで読み取る能力があり、また感情面で大変恵まれていました。彼はステージ上で恐れを知らないという意味で、素晴らしい演奏家でした。」
この「恐れを知らない」という言葉は、スルタノフの奥様もよく使っていましたが、スルタノフのテクニックや音楽的才能もさることながら、この個性こそ、スルタノフを他のピアニストと大きく差別化する要因だったのではないかな、と思います。
最後に、ご家族から拝借した、スルタノフとポポヴィチ先生の思い出の写真を1枚紹介します。これはレッスン中の写真でしょうか。楽譜からは、ショパンの華麗なる大円舞曲のレッスンなのかと想像出来ます。
ポポヴィチ先生については、あまり資料がない状況ですが、どのようなレッスンをしたのか、大変興味深いところです。
2018年03月03日
タマーラ・ポポヴィチ先生とスルタノフ
posted by Murakami at 13:11| Comment(0)
| ご家族
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