最近ロシア語圏のスルタノフサークルにて、以下の動画が発掘されました。
これは、1985年のインタビューです。
ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番の3楽章が少しだけ映像で流れますが、これは未公開のものだと思います。貴重ですね。
13:39あたりから。
また 32:27 あたりから、インタビューの続きで、スルタノフのお母さん(ナタリア)との会話があります。
内容について、ロシアのスルタノフファンを代表するマリーナさんより教えて頂きました。
それでも日本語に直すと意味がわかないところが多いのですが、何となく理解出来るところもあると思います。以下にその試訳を載せます。
悩みや不安について
レポーター(R):あなたはポジティブなヒーローですか?
アレクセイ(A):いや、それほどポジティブというわけではないんです。
R:どんなことをするとお母さんが不満に思ったり、苦しんだりしますか?自分ではどう思います?
A:実のところ、何か母を怒らせるのか、私にはよくわかりません。きっと、よくあることだと思いますが。
R:じゃあ、いつものことってなんでしょう。
A: 母はいつも何かしらに怒っていますからね。
R: あなたにとって一番難しいことは何ですか?
A: 時々いる人なんですが・・・
R: いや、あなたにとって難しいことです
A: 大人や両親、先生が、受け入れられないことを要求するのが理解出来ないです。大人との関係の中で、時々こういうことがあります。
R: 受け入れることが出来ないって、どんなことでしょう。音楽の理解が異なるとかですか。それとも、勤勉さ、勉強とかそういう意味でしょうか。
A: 音楽についてもあります。ほんの些細なレベルです。でも、勤勉さという意味では、確かにあります。完全に他の世界の娯楽を捨てて音楽だけに集中する。そしていつも、成長し、読書し、真剣に励む。これはとても出来ません。だって、人は皆、人であり、何か1つだけをすることなんか出来ないです。
R: じゃあ、他のことでは、どんなことがやりたいですか?
A: そうですね。他の気晴らしとか。真面目な音楽だけだけでなく。例えば友達とどこかへ行ったり。もしくは、一緒に何か作ったりとか、そういうやつです。
R: ちょっとふざけ合う、みたいな
A: そうです。そんなかんじ。くだらない話をしたり、リラックスしたり。
オーケストラとの演奏にかぶせて:
アレクセイスルタノフは16歳で、彼はタシケントの音楽院の特別コースの生徒です。「彼は有望です」と教師たちは言います。アリョーシャはウズベキスタンでコンサートを開き、レニングラード、ノボシビルスクで演奏し、東ドイツやポーランド、ユーゴスラビアのツアーにも行きました。多くの音楽コンクールにも参加しています。もちろん、アリョーシャの人生は、明るいお祭り、人々からの感謝、音楽の喜びなどにあふれています。
R: アリョーシャ、あなたは人生の中で大きく考えが変わる重要なこととかはありましたか。何か覚えていますか?
A: はい、2年前のことで、とてもありふれた例ですが。新しい生徒が学校に来たんですが、全く違う人生で、すごく大変な状況でした。
R: どんな風に大変なんでしょう。
A: 彼は自分で生計を立てる必要がありました。早くにして父親をなくしまして。そのことは、自分を変える1つのきっかけでした。全てが簡単に行く、なんてことはそうはない。自分はある意味幸運なのだと。
32:27あたりからのエピソード:
母:あなたは両親や環境に恵まれなかったと考えているかもしれないけど、それがあなた自身こそがあなたの環境なのよ。親ではない、あなたを支える誰かが現れるかもしれないし。
A: 親や先生は環境の一部ではないということ?
母:もちろんそうだけど、あなたにとって重荷なんでしょう
R: つらいといっていましたよね。そして啓蒙だと。
A: 啓蒙だとは言ってないよ
M: 他人に天才であることを求めるけど、自分自身には求めない。でも近くいる先生たちはみんな、スホムリンスキー、コルチャック、ネイガウス、ナウモフみたいに、自分自身のためでなく、全て天才たちのためであるべきね。別に天才でなく、注目されていない人たち。彼らがどう生きるか、それがどれだけ大変か。そして不満だらけ。それが問題ね。
R: どう、アリョーシャ?
A: 確かにそうかもしれないけど。でも両親に先生への不平以外のことを言う人なんかいる?普段はこんなことを言われた、などのちょっとした不平や、あとはこう言ったとか、褒められたとか。でも、先生への印象や意見なんかを声に出して言う人はあまりいないと思うけれども。
R: 心の中にとどめておくということ?
A: もちろんそう。全部。
2021年04月08日
古いインタビューと演奏
posted by Murakami at 20:46| Comment(0)
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