2018年05月21日

ショパン6月号

今月のショパン(6月号)に、スルタノフが登場しているので、ご紹介させて頂きます。

モスクワ音楽院で勉強されたピアニスト、長瀬賢弘さんの「ロシアピアノ教育のいま」の連載、今月はモスクワ音楽院入学前の子供たちについてで、モスクワ中央音楽院(ツェムシャー)が多少取り上げられていて、スルタノフの名前も見えます。

スルタノフはもちろんのこと、ロシアの神童がどのように育ったのかを知るのは、大変興味深いところです。取材協力には Tribute to Sultanov シリーズで有名な、今泉響平氏の名前も見えます。

1ページのコラムですが、ロシアの幼少教育の極意が恐縮された、大変貴重な内容になっておりますので、スルタノフファンはもちろん、ロシアピアノ教育にご興味ある方は是非ご一読頂くとよいと思います。

posted by Murakami at 21:50| Comment(0) | メディア

2018年05月19日

スルタノフとホロヴィッツ(ご対面編)

スルタノフとホロヴィッツシリーズの第2回目、今回はスルタノフとホロヴィッツが対面した時のお話をご紹介します。

スルタノフの本格デビューは 1989年のクライバーンコンクールの優勝後、すなわち1989年の6月以降であり、またホロヴィッツは1989年11月5日に亡くなっていますので、この2人がピアニストとして出会うのは時間軸として奇跡的なことなのですが、2人はホロヴィッツのニューヨークのアパートで1回会っています。

1989年7月27日、スルタノフは David Lettermanの"Late Night" に出演しました(CBSとアーカイブには記録されていますが、NBCのニューヨークスタジオではないかと思います)。これは Late-night talk show と呼ばれるアメリカでは大人気のトークショー番組です。この日スルタノフはクライバーンの優勝者としてテレビ出演し、プロコフィエフのピアノソナタ7番の3楽章の後半を披露しました。ただ、この手の番組にはよくあることですが、演奏家への敬意は全く感じられないというのが、Letterman氏と番組に対するファンからの評価となっています。

さて、実はホロヴィッツはこの時既にスルタノフのことを知っていたようで、興味を示していたようです。まさにこの日の収録後、クライバーン財団とホロヴィッツのプロデューサーでもあったThomas Frost 氏の計らいで、ホロヴィッツが住むマンハッタン東 94丁目のアパートで会っています。この会合は21時から3時間ほどだった、と言われていますが、もともと番組が深夜番組ということで事実として少しはっきりしないところはあります(深夜番組ですが、レコーディングは夜に行われていたのかと推測します)

スルタノフの回想によると、当時ホロヴィッツは85歳と高齢でしたが、元気があって賢く、少しいたずら好きなかんじであったということです。ホロヴィッツはスルタノフに何か弾いてみて、と頼み、スルタノフはまずモーツアルトのピアノソナタを弾きました(おそらく K.330)。すると、ホロヴィッツも同じ曲を「その曲なら知っているよ」と弾いたそうです。また、スルタノフは、ホロヴィッツ版でメフィスト・ワルツも弾いています。2人は、シューベルトの幻想曲(D.940)で4手連弾もして楽しみました。
ホロヴィッツは祖国を離れて60年になっていましたが、ロシア語で話すことを大変喜んだといいます。

別れ際に、ホロヴィッツは、自身の誕生日パーティにスルタノフを招いてくれたようです。ただ、残念ながら、スルタノフはロンドンでファーストアルバムのレコーディング(チャイコフスキーとラフマニノフのピアノ協奏曲)があったため、出席出来ませんでした。そして、ちょうどレコーディングをしていた頃、ホロヴィッツが亡くなったことを知らされたようです。(注:レコーディングの日程、ホロヴィッツの誕生日、亡くなった日あたりは微妙にずれているのですが、本人証言によると上記の通りです)

スルタノフにとっては、夢のような1日であったことでしょうし、もし2回目や3回目があったら、どれだけ素晴らしかったであろうか、と思わせるエピソードです。

スルタノフのホロヴィッツに対する思いのこもった、ライブ・イン・リガのCDのブックレットに、このホロヴィッツ対面のエピソードについても記載してあります。残念ながら生産中止になっていますが、お手元にこのCDがあれば、是非ブックレットを読み返して頂けると嬉しいです。
LiveinRiga.jpg
posted by Murakami at 12:19| Comment(0) | 歴史

2018年05月12日

スルタノフとホロヴィッツ(妻 Daceとの出会い編)

今回から4回に渡り、スルタノフとホロヴィッツに関する話を書いてみます。
まずは大変有名な、スルタノフと奥様 Daceさんとの出会いのお話です。
スルタノフご夫妻.jpg

1986年の4月20日(少し雨が降ったといいます)に、ホロヴィッツはモスクワ音楽院の大ホールで歴史的なコンサートを行いました。このコンサートはホロヴィッツの60年ぶりの祖国ロシアでの公演ということもあり、チケットは大変人気があり、さらに高価だったので、当時の学生たちには買えるものではありませんでした。それでもコンサートが聴きかった音楽院の学生約15人は、スルタノフに連れられて大ホールに隣接する建物のハシゴをのぼり、そこからホールの屋根に飛び移りました。まずはスルタノフが、そして他の学生も次々に続きます。その時に、あるブロンドの美人学生が雨に濡れて滑りやすい、斜めの屋根で滑りました(死ぬかと思った、とのこと)。その時に彼女の手をとったのがスルタノフです。スルタノフは当時から神童として音楽院でも有名で、もちろん彼女もスルタノフのことをよく知っていましたが、スルタノフのほうは彼女を知りません。後に有名となったセリフですが、「僕はとっさにそばにあったアンテナを掴み、もう一方の手で彼女を掴んだ。その子を見たら悪くなくってね、それで助けてあげたのさ。」と、助けてあげました。その彼女が後の妻になる、Dace Abele さんです。彼女はラトビアのリガからやってきて、モスクワ音楽院でチェロを勉強していた当時16歳の学生です。
それから、学生たち、特にスルタノフとDaceさんは肩を並べて大ホールの屋根裏からコンサートを聴いたのですが、そこからは全てが見えたといいます。もちろん、演奏するホロヴィッツも見えたし、鍵盤も全て見えたということです。
この数年後に、スルタノフはホロヴィッツと会いますが、このエピソードの話をすると、ホロヴィッツは笑って謝ったといいます。スルタノフも「あなたのせいで、結婚することになってしまいましたよ」と言ったとか。
後に2人は 1991年10月31日に、テキサス州のフォートワースで結婚式をあげました。

このお話は、とてもロマンティックで、この話が大好きなファンも多いのですが、なかなか想像がつきにくいところもあります。そこで、少し現地がどんなかんじだか見てみましょう。

まず以下の写真がモスクワ音楽院で、この写真の正面が大ホールであったはずです。隣の建物から、ホールの斜めの屋根に飛び移ったと記録がありますので、ひょっとすると奥の建物から手前に飛んだのかもしれません。(真相不明)

Moscow 05-2017 img41 Conservatory.jpg
By A.Savin (Wikimedia Commons ・ WikiPhotoSpace) - 投稿者自身による作品, FAL, Link



以下はホロヴィッツのコンサートの映像からの引用で、モスクワ音楽院の大ホールの中です。ステージの上あたりは、屋根の上から直結で行ける素敵なスペースがあるのかもしれません。
Horowitz in Moscow.png

なお、実はこのエピソードが取り上げられているドキュメンタリーフィルムがあり、理解のためのヒントになるのですが、残念ながらロシア語ナレーションで字幕がありません。ご興味がある方は 4:10 あたりからにご注目下さい。


ホロヴィッツのこのモスクワ公演はCDやDVDにもなっています。全く同じ日の公演ですので、これを見るだけで、若き日のスルタノフが会場にいることも感じることが出来るでしょう。
当日の演目には、スルタノフが後に得意としていたモーツァルトのピアノソナタ10番 K.330や、スクリャービンの練習曲 op.2-1やop.8-12 もあります。影響もいろいろあったのでしょう。モーツァルトのトリルの入れ方なども、とても影響があって興味深いです。

posted by Murakami at 17:28| Comment(0) | ご家族

2018年05月06日

伝説のメフィストワルツ

大変有名な、スルタノフのクライバーン・コンクールでのメフィストワルツの演奏です。
演奏中に弦が切れてしまったことでも有名なのですが、ファンの間では、この演奏後のスルタノフがとったポーズがカッコいいということでも話題になっています。
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さて、このシーンは、クライバーンコンクールのドキュメンタリーフィルム "Here to make music" に収録されています。

残念ながら、事実上市場にはほとんど出回っていないDVDですが、スルタノフに関連する内容の一部は以下の動画で見ることが出来ます。

最初に流れるモーツアルトも音楽の喜びにあふれていて素晴らしいですが、次のメフィストワルツも集中力の高い圧巻の演奏で、弦が切れたということもあり、大喜びするアメリカ人の聴衆も見ることが出来ます。この動画では、演奏の後半が少し紹介されているだけで、実際に弦がどこで切れたかを確認することが出来ません。

コンクールのライブCDには、この演奏全体が収録されていますが、こちらも残念ながら事実上流通していないと言えます。ジャケット写真でも有名になったCDです。

さて、では実際にこの演奏のどこでどの弦が切れたのか気になる方は、こちらをご確認下さい。

場所は前半です。1:25くらいから聴いて頂くと、その歴史的瞬間がおわかり頂けると思います。楽譜にすると以下です。頂点の音ではないですし、強烈なフォルテであったとしても運が悪かったのでしょう。
liszt3.jpg

スルタノフのメフィストワルツは、その独特な解釈、また人生の重要な場で弾かれている点(クライバーンコンクールのビデオ審査、クライバーンコンクールの伝説の演奏、そして、ホロヴィッツの前で演奏した曲目である)で、いろいろと研究の余地が多いところですが、YouTubeのコメントに「Greatest Mephisto ever」などとあるように、コンクールの場で、オリジナルの楽譜とは違った形で演奏するというチャレンジの中、聴衆を釘付けにする素晴らしい演奏です。

最後に、この演奏に関して否定的である意見もあることをご紹介しておきます。
以下の本は、1989年のクライバーン・コンクールをテーマに書かれた本ですので、もちろんスルタノフの話はたくさん出てきます。著者は音楽評論家の方によくあるように、スルタノフの演奏はお好みではなかったようです。なおこの本は現在 Amazonで41円ですので、ご興味があればお読み頂いてもよいかもしれません。
posted by Murakami at 14:04| Comment(0) | 演奏

2018年05月01日

スルタノフに関する情報提供のお願い

いつも、アレクセイ・スルタノフホームページをご覧頂きありがとうございます。

アレクセイ・スルタノフ支援会では、少しでもスルタノフが活動してきた内容を記録しようと思い、情報を集めていますが、出来れば貴重な経験をされている皆様に、過去のデータなどご協力頂けたらありがたいと思い、以下の「情報協力の依頼」ページを作成しました。

情報協力の依頼

もし眠っている何かがあれば、お知らせ頂けるとありがたいです。

また、今後スルタノフ生誕50周年となる2019年に向けて、活動を協力して下さる有能なメンバーを募集しています。何か手伝えることがありそうかな、と思いましたら、是非お声かけ頂けるとありがたいです。
posted by Murakami at 22:59| Comment(0) | お知らせ